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2013.07.03 (Wed)

あつい夏

時は20数年前
自作の真っ赤な闘魂旗をフリフリしながら
名古屋駅・栄・デザイン博会場周辺etcを練り歩き
馳選手(当時)から渡された大量のチラシを配りまくっていた中
「もっとたくさん人がいる場所がある!」と一人暴走して
駅の構内に突入して配っていたら
駅員さんから「構内で選挙活動しちゃだめだ!それに君は未成年じゃないのか?!」と
どこかへ連れていかれそうになったとき

満面の笑みで「どうも、どうも、すいません。」と花道から御大登場!

「あっ、猪木さんですかー。」と駅員がビックリしている中
どさくさに紛れ御大の胸の中へ飛び込み無事生還。(*^o^*)

あぁ、夢のようなあつい夏だったなぁー。


維新・・・
橋下(前は応援してたけど今はああいえば上祐にしか見えないし)
石原(ふざけんな、このクソじじ○)

まぁ、小さいことはどうでもいいや
こちとら条件反射でアントニオ猪木ダァ~!

あのときから今でも猪木さんは元気満々で
ずっと変わらずミーのヒーローで
「炎のファイター」がどこからか鳴り響いてきたぞー
あつい夏になりそうダァ~!!!




   ~1989年~   
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05:19  |  プロレス  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2012.04.22 (Sun)

至福のダァ~!

藤波辰爾デビュー40周年記念大会(後楽園ホール・超満員札止め)で
至福の光景が。

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                      (スポーツナビ)

前田とタイガーが横並び!
藤波の陰に隠れて長州が。(白のリングシューズに注目)
恥ずかしそうな藤原に(元気そうでうれしい)
オールドファンには懐かしい藤波のデビュー戦の相手
北沢さん(魁 勝司)もレフリーとして登場。

しかし,猪木と前田のダァーなんて
プロレス観戦歴イコール年齢(オムツの時から見てました)のミーの記憶でも
今まであったかな。
(少なくとも,前田が笑顔の状態でのダァーは初めてのはず!)

いろんな人間ドラマはあったけど
元をたどれば,アントニオ猪木のもとで
同じ釜の飯を食い,同じ夢を見た仲間。

そして,これを可能にしたのが
辰っつあんの人柄のなせるわざ。

藤波さん,40周年おめでとうございます!

P.S.小鉄さんも,この光景見て喜んでいるだろうな。


23:33  |  プロレス  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2011.06.20 (Mon)

大仁田厚さん、来る!

先日、「国際グラフ」編集部から突然取材依頼の電話が。
なんでも、開業まもない士業の特集を組むので取材させて欲しいと。

はじめは、もっとふさわしい事務所があるからと断わりました。
が、次の言葉を聞いて前言撤回

「大仁田厚さんがインタビュアーです。」

お受けします!

早速、取材日のスケジュールを合わせ
プロレス好きのえふ師、弟、高校のT先生を緊急招集

残念ながらT先生はPTAの会合で来れませんでしたが
当日は大盛り上がりでした。

大仁田さんは、リング上で見せる顔とは全く別の
とても紳士で、かつフランクに接して下さいました。

仕事の話はもちろんですが
政治・経済そしてプロレスの裏話まで話題が及び
話が白熱してくるにつれ大仁田さんも熱くなってきて
対談と云うよりプロレスしている感じになってきました。

とてもエキサイティングで夢のような時間でしたが
一番嬉しかったのは
「先生(大仁田さんに気を遣って呼んでもらいました)も、プロレスやってるんだよ!」
と言ってもらったことです。

小さい頃からプロレスラーになりたかった自分にとって
これ以上の言葉はありません。

対談は時間を大幅にオーバーして終わりましたが
とても名残り惜しく、この時間が永遠に続いたらと・・・。



対談内容は「国際グラフ」7月号に掲載されます。









 
01:20  |  プロレス  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2011.06.06 (Mon)

お祭り

事務所の外からピーヒョロロと笛の音
何かなと思って出てみると
たくさんの提灯をぶら下げた大きな山車が。

名古屋の夏祭りの先陣を切る
「筒井町天王祭り」のからくり山車(湯取車)で
疫病流行の兆候や農作物に被害が出やすい初夏に
諸疫を払いのけることを祈願する祭りだそうです。




なかなかいいもんだなぁと見ていたら
一緒にぎふ清流マラソンを走ったT君から
「西枇杷島まつり」に誘われていたことを思いだす。

いつだか、車のラジオから
T君の声が聞こえてきて
何だと思って、耳をそばだてると
「西枇杷島まつり」の歴史や魅力を語っていた。

それ程、彼の祭りにかける情熱は強く
その雄姿を一度は見てみたいと思っていたので
週末に出かけました。

b_convert_20110605224106.jpg

所狭しと屋台が並び
何だか気分が盛り上がってくる。

T君はどこかと探していると
男達が大声をあげているのでそこへ行ってみると
山車を方向転換する所で
余程重いのか、苦渋の顔をしながら少しずつ少しずつ山車を動かす。
(苦渋の顔の中にT君もいました!)


c_convert_20110605224139.jpg

町内ごとに山車があって
そのどれもが江戸時代に製作された歴史あるもので
からくり人形が舞い踊る。

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生まれた街に
長年続く祭りがあって
小さい子から大人まで
それを毎年楽しみにしている。

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なんか羨ましいなぁ。

P.S.
6月4日、新日本プロレスの中西学選手が
試合で首にダメージを受け
中心性脊髄損傷で入院すると云う事故がありました。
ちょうど1ヶ月前に、外国人の方が多く集まるイベントでお会いしたばかりだったので
びっくりするとともに、とても心配です。

中西選手といえば、一目でレスラーと分かるキングコングのような体と
不器用だけどとても実直な
まさに気はやさしくて力持ちを体現するような理想のレスラーで
最近では岩手県の避難所で焼肉を振舞うなど支援活動にも熱心でした。

彼のあの強靭な肉体と精神力で必ず復活してくれると信じています。

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01:23  |  プロレス  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)

2010.09.02 (Thu)

小鉄さん!「あっ、ちょっと待ってください」

ステルスの喪が明け
さぁ元気だして行こう!と
自分を鼓舞してたその横から
またも悲しいニュースが。

「山本小鉄 急死」



新日本プロレスの黄金期
場外フェンスアウトや両者リングアウトで
試合が不完全燃焼で終わっても
声の限り「小鉄コール」をすれば
解説者席からリングに飛び込み
両選手に試合続行の意思を確認して
延長のゴングを鳴らしてくれた時には
狂喜乱舞したなぁー。

もうリング上であのスクワットを
永遠に見る事はできないんだな。

小鉄さんはアントニオ猪木の女房役として
新日本プロレス旗揚げ時から物心両面で猪木を支え
特に新日本プロレスのレゾンデートルである道場の「鬼軍曹」として
佐山サトル(初代タイガーマスク)、前田日明ら数多くの選手を育て
新日黄金時代の礎を築いた。

後に猪木の事業のからみで二人は距離を置く事になるが
頑固一徹、曲がった事が大嫌いな小鉄さんのことだから
避けていたのは猪木さんの方じゃないかな。

新日本プロレスは
様々なスター選手を産み出し
その多くがそれぞれの理想のプロレスを掲げていろんな団体を作り
旅立って行ったが
小鉄さんはことあるごとに
「いつかまた一緒にやるのが夢なんですよ」と。

自分は小鉄さんと直接に接する機会はなかったけど
選手の追悼コメントなどを読んでいると
「鬼軍曹」とは別の顔の
とても人情味あふれるエピソードに心打たれる。


平田淳嗣(スーパーストロングマシーン)「私が新日本の新人募集の告知を見たとき、すでに期限が切れていたんですよ。それで、なんとかならないかなと思って、山本さんあてに手紙を書いたんです。そうしたら、当時住み込みで働いていたお店に山本さんご本人から電話がかかってきて、大田区体育館で急遽テストを受けることになって。それで、山本さんのテストを受けて、即刻、合格の言葉をいただきました。あとで聞いたんですけど、手紙に書いた私の生い立ちが、山本さんと同じような境遇だったらしいんですよ。それで入門させてもらったんですけど、色々と厳しい指導をしていただいて。山本さんが乗ったキャデラックの音を聞いて緊張したというのは、当時の寮生はみんなそうでしたよ。ちょっと挨拶が中途半端だったりすると、口より先に手が飛んでくる。ある日、『掃除ができてない。玄関が汚い』というお叱りを受け、道場生全員が角材で殴られたという思い出があります。僕のほかにヒロ斉藤とか5人ぐらいいて、最後に前田日明が殴られたとき、角材が折れましたからね。みんな、頭から血を流していた。そうやって、掃除一つとっても『ちゃんとしろ』という方でしたね。普段の生活が試合に出てくるというのを教えられました。本当に信じられません。今にも道場にキャデラックがきて、山本さんがカバンを持って現れるような気がしますよ。新日本の土台を作った人。リスペクトしています。ありがとうございました。お疲れ様でした」(新日本プロレスホームページ)



真壁刀義「正直、今も信じられない。だから、神妙な気持ちにもなれねぇんだよな。小鉄さんは、たかが1ヶ月ぐらいしか経ってない新弟子のころから、俺の名前を覚えてくれてね。それだけでもうれしいじゃん? しかも、俺が落ち込んでくれるときに声をかけてくれて。そのとき、俺が『誰よりも声を出して、誰よりも正しいフォームでスクワットをやってるのに、(鉄拳を)食らわされるし、罵倒される。何が正しいかわからない』って相談したんだよね。そしたら小鉄さんが一言いったんだよ。『誰よりも強くなれ』って。『誰よりも強くなったら、誰もお前に文句言わない』って。このときだよね。心を入れ替えて、『アイツらのこと、全員ねじ伏せてやろう』と思ったのは。あの小鉄さんの言葉がなかったら、今の俺はなかったよ。だから、俺は小鉄さんが来ればよくしゃべってた。あるとき、見送りをしていたら、小鉄さんがお金を出して『これでうまいモンでも食って来い』って言ってくれてね。でも、俺は新日本から言わせりゃお荷物みたいなヤツだったから、『もらえません』って言ったんだよ。そうしたら小鉄さん、なんて言ったと思う? 『俺がいいって言ったんだ、バカ野郎!!』ってスゲェ怒られたんだよね。お金もらうの断って怒られたの、初めてだったよ。俺がヒールになったとき、誰も認めてくれなかったけど、小鉄さんだけは会えば色んなことを話してくれた。あの人だけだよ。唯一、俺を認めてくれていたのは。だから、やることをやってればそれでいいんだっていうことを教わったよね。小鉄さん、俺の親父と同い年なんじゃないかな? 変な話、俺にとっては親父であって、じいちゃんであって、大先輩であるというね。ホントにプロレスというものをあの人から教えてもらったよ。こんなことを話していても、ホントに実感がわかねぇよ。感謝こそすれど、ホントに贈る言葉なんてないよな。感謝の気持ちしかない」(新日本プロレスホームページ)


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後にチャンピオンになり小鉄さんから祝福を受ける真壁選手
                           (スポーツナビ)




名無しさん「こてつさんはいい人だよ。
新日道場のそばにすんでたことのある俺ら。
家は母子家庭で貧乏。何日も同じ服着てたし弟も俺も痩せてた。
そんな俺らによく菓子パンとかおでんとかくれた。
『よくたべ、よくわらえ!』そういって俺と弟を肩に担いで笑ってくれた。
夜逃げの繰り返しでいろんなところを転々としてたんで長い付き合いでは
なかったが、父親を知らない俺らはこてつさんが理想の父親像だった。
弟に連絡したら絶句したあとただ『かなしいな』と言った。
仕事にもどる時間だが涙が止まらない。」(2ちゃんねる)







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                   (デイリースポーツ)




22:43  |  プロレス  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)

2010.05.25 (Tue)

帰れコールのレクイエム~ラッシャー木村さん追悼~

「帰れ!帰れ!帰れ!」

蔵前国技館
一万人の帰れコールの大合唱

首を少し傾け、苦虫を噛み潰した様な顔がTV画面に映し出される

今で云うブーイングなんてもんじゃない
浴びせられる本気の罵声・怒声

ミーも条件反射で「帰れ!帰れ!」と何度叫んだ事か

国際プロレスが崩壊して
もう帰る所がないレスラー
はぐれ軍団総帥のラッシャー木村に。

それ程憎らしく、ふてぶてしかった。

今思えばこれこそ悪役。
惚れ惚れする位のヒールだった。

アントニオ・猪木との最後の試合
ラッシャー木村はゴングが鳴る前贈呈の花束で猪木に襲いかかる
目を負傷した猪木はリング下へ
なかなかリングに上がれずイライラする猪木
リング上でたちふさがるラッシャー木村
ついにイライラが爆発しキレた猪木がリングインしナックルパートの雨あられ!
見る見る顔面が血に染まる
そして延髄蹴り
それでも猪木の怒りは治まらず
今度は額にハイキック
血がドクドク流れラッシャー木村は立ち上がる事ができない
ここでレフリーはゴングを要請

猪木はリング上で深々と一礼し
リングを下りる。

しばらくして息を吹き返したラッシャー木村は
寺西勇の肩を借りフラフラしながらも立ち上がり
もうリングにいない猪木の方に向かって何やら叫び
そしてまたリングに崩れ落ちる。

猪木信者のミーは
やっつけてくれて嬉しいと思う反面
あまりにも無様な負け方に
子供心に何か哀愁みたいなものを感じたのを覚えている。

10数年後
この試合の後日談を聞く事になる。
この時ラッシャー木村は立つこともままならない程腰の具合が悪く
とても試合ができる状態ではなかったそうである。
しかし迷惑はかけられないと
それをおくびにも出さず「見事なやられっぷり」と云う形で試合を成立させた。

かつては国際プロレスのエースだった男だ
新日本プロレスでの待遇は1対3の試合など
本当なら屈辱以外のなにものでもなかっただろう。
しかし、ラッシャー木村は拾ってくれた団体への恩義から不平など言わず
黙々と与えられた仕事をこなした。
それが無様な姿をさらす事になっても。

(でも心をひどく痛めていた事もあった。
あの頃新日本プロレスは毎週20%前後の視聴率を上げており
ラッシャー木村の悪役としての影響はプライベートの生活にも及び
自宅に毎日石などが投げ込まれるなどして
愛犬が円形脱毛症になり体調を崩してしまった話を後にインタビューで目に涙をため語っている)

この試合を最後にラッシャー木村はUWFを経て全日本プロレスに移籍し
マイクパフォーマンスのコミカルな路線に変わって行くのだが
ミーにとってラッシャー木村はいつまでも
帰れコールの大合唱を浴びながら
ふてぶてしい顔で猪木を痛めつけ
僕らを最高にヒートアップさせてくれた
ラッシング・パワーの名レスラーだ。


ラッシャー木村さんあの熱い時代をありがとうございました。
心よりご冥福をお祈りいたします。



05:28  |  プロレス  |  トラックバック(0)  |  コメント(4)

2010.02.10 (Wed)

アントン殿堂入りダァ~!


                                             ~スポーツナビより~


我がマスター猪木さんがWWEの殿堂入り授与式に出席。

アントニオ猪木がレスラーとして残してきた功績を考えると

この殿堂入りに収まりきれるものではないけれど

ビンスも乙なことしてくれるじゃないか。


最近猪木さんは手術などで華やかな場に出る機会が減っていたので

久しぶりに元気な姿を見られて安心!


アメリカでのプレゼンターはハンセンみたいだけど

アントニオ猪木から最も盗んで行った男

ホーガンにやって欲しいな。


アントニオ猪木から最も盗んで行った男・・・

いやそれはホーガンじゃないな。


待ってて下さい。

プロレスラー初国民栄誉賞を授与するのは・・・。

(妄想乙!)







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00:23  |  プロレス  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)
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